2012年3月31日土曜日

「個」であるということ


今回、さとなおさんの「組織や肩書きに頼らず『自分』を晒して生きるということ」というブログ記事を大変興味深く読ませてもらった。

ボクは、ソーシャルメディア時代、「個であること」ほど、大切なことはない思っている。
独立してひとりで生きろ、とかノマドしろとか、そういう意味ではなく、組織や肩書きに頼らず、「自分」を晒して生きることがとても大切だと思っている。
 
私も、昨年末で5年間勤めたインテリア会社を辞めて、今は個人で仕事をしているけど、さとなおさんの言うとおり、肩書きに頼らずに、個人として仕事をしていくことはとても大切なことだと痛感している。
もう私には、鎧となる組織はなくなってしまったので、個人として頑張っていくしか選択しがないのだけれど、自分の性格上、そうなたっらそうなったで、覚悟を決めて、毎日に励んでいるかんじかな。
ただ、「個」になった瞬間から、一気に人のネットワークが広がった。
かつて組織を通して繋がっていた人たちが、今度は私個人として付き合ってくれるようになった。
私が組織を離れても付き合いたいという人たちと、組織に属さない「私」を良しとしてくれる人たちとのネットワークが出来てきた。
なんだか体に羽がついたように、気持ちが一気に軽くなった、、今までの私でいいんだと。
私にとって「個であること」と同様に大切なことは、「フツーでいること」。
正直、表に押し出したいような自己も自分にはないし、どんな人い会っても、「フツー」に接していたい。
今まで、肩書きだけを見ると緊張して話せなくなるような人たちと接する機会に恵まれた。
そこで思うことは、そういった人に限って「フツー」であるということ。
相手の肩書きや、放った一言、バックグラウンドなどは何も重要ではなく、まるでそれが見えないように、「個x個」で話してくれる。
と同時に、そういった人達は、感情的にとても豊かで繊細だということ。
相手の気持ちを汲み取ったり、同情する能力がとても優れている人達ばかりだった。
だから、こういった「フツー」な人たちが、組織のトップに上りつめるんだ思う、、
そんなことをつれづれに思う、土曜日の朝でした。

0 件のコメント:

コメントを投稿